中学受験を考えていると出てくる悩みに
「できるだけ学力の高い学校にギリギリ合格して入学するのがいいのか?
それとも、学力的に余裕のある学校に入ってその中でトップとして学校生活を送るのがいいのか?」
というのがあります。
私もこの2つの選択について、たまに考えています。
この疑問に対する万能な答えは
「その子による。」
ということになってしまうのですが、考える為のヒントとなるような両方の意見を主張している本や動画を見つけたので共有します。
意見1:負けるためにも上へとチャレンジすべし!
まず、どちらかというと「できるだけ学力の高い学校にギリギリ合格」を肯定する意見を紹介します。
開成中学・高校の校長先生をしている方(柳沢幸雄さん)が書かれた
「男の子の「自己肯定感」を高める育て方:世界を生き抜く力は思春期に伸びる!」
の本を読んだのですが、このことに対して書かれていた部分があるので引用します。
男の子の親御さんが悩むのが「鶏口がいいか?牛後がいいか?」という問題です。
つまりレベルを落とした学校でトップになる方がいいのか、レベルの高い学校でなんとか遅れないようについていく方がいいのか、ということです。(中略)
「負ける経験が人を成長させる」
人というのは何事もすんなり運んだ時には、振り返ることも反省することもしないものです。 そこに学びはありません。
しかしうまくいかなかった時には必死で考えます。
それが人を成長させる。
そして負けた自分を、自ら認めてあげることができるかどうか。
いつもトップの自分を認めるのはとても簡単なことです。
しかし一生誰にも負けないということはありません。
負ける経験をせずに大人になると、ほんの少しのつまずきから回復できないほどのダメージを受けてしまうことがあります。
これは非常に危険です。
負けた自分を認めることができるかどうかは、自己肯定感を語る上で外すことはできません。(中略)
ですから結論を言えば、早く負けた方がいいのです。 (中略)
逆説的かもしれませんが、負けるためにも上へ上へとチャレンジさせてください。
そうすれば思春期のうちに必ずどこかで壁にぶつかり負ける経験をします。
そこをどう乗り越えるか、 そこから学ぶことは親や教師が教えること以上に多いはず。 そして、 その経験から獲得した自己肯定感は、簡単に崩れるようなものではないでしょう。
(引用以上)
開成に入学してくる子はそれまで「クラストップ」「塾トップ」など勉強において負けた経験のない子ばかり。
ところが入学して最初の試験ではほとんどの子が驚く結果になるわけで、子供達が潰れてしまわないように、開成では先輩との交流を通してロールモデルをとなる先輩を見つける場を設けるなど入学当初から様々な取り組みをしているようです。
開成は集まる人が全員トップでかなり特殊だと思いますが、先生もそれをわかっていて様々な取り組みをしているのはいいですね。
ですが、ほかの学校では「学力のことで自信を無くした生徒へのケア」が行き届いていない場合も多いでしょうし、このようにみんながうまく「負けた経験から自己肯定感を獲得していく」シナリオになるわけではないのでは…?と私は思ってしまいます。
意見2:余裕ある入学がおすすめ
Youtubeの「オレンジ先生(東大卒)の算数・数学チャンネル」 でこのテーマについて話されている動画があります。
「【志望校選び】偏差値ギリギリの学校か余裕の学校か」
オレンジ先生は「まずは自分が行きたい学校が志望校」を前提とした上で、 学力的にどちらの学校を選ぶかというと「基本的には偏差値に余裕のある学校をおすすめしたい」と言う意見を持たれています。 (以下、動画の要約)
偏差値に余裕がある場合、最初から良いスタートを切りやすいし、メンタル的にも自信を持ちやすい。
勉強で「勝てるから好き」というサイクルに入りやすいし、勉強が好きになれば大学受験でもより高みに行ける可能性が高まる。
逆に偏差値ギリギリの場合、勉強で勝てない状態が続くと自信を持てなくなってしまう恐れあり。
勉強において「勝てないから嫌い」というサイクルに陥りやすい環境である。
大人になって考えると、中学、高校の偏差値5〜10の違いって大したことないよ、という話もされています。(動画の話は以上です)
私は、オレンジ先生の話している内容の方がしっくりきたし、自分の長男を想像した場合は偏差値に余裕のある学校でトップとして存在していた方が自信を持ちやすい子のような気がしています。
子供って家庭と学校だけのすごく狭い世界で生きています。
たとえ世間的にすごく学力が高いと認知されている学校に通い、その制服で通学している途中に周りの人から「あの子は賢い学校の子なんだ」と内心思われていても、そのことはその子の自信には影響をあまりを与えないでしょう。
それよりも「クラスの中で」自分がトップなのかビリなのか、自分が頑張った努力がすぐに学力での順位として現れるのか、それとも努力しても努力してもビリにしかなれないのか、といったことの方が影響が大きいと思います。
オレンジ先生のこの動画のコメント欄の一番上にも、そんな実体験を書いてくださってる方がいます。
もちろん校風など自分が学校と合うかどうかの要素も大きいし、いい先生や友達に恵まれるかなど、入ってみないとわからない部分も大きいですが、私はこのトピックに関しては現時点では、特定の学校への思い入れがないのなら「鶏口牛後」の考え方です。
(読み方:けいこうぎゅうご)
大きな組織の中で下の存在としているよりは、小さな組織のトップであるほうが良いということ。
=トップ校で成績ビリでいるよりは、偏差値に余裕ある学校でトップでいたほうがいいってことですね。
(ちなみに私この言葉知らなくて、調べました。笑)
より具体的に言うと、中学受験で特待生としての入学を
「自分より学力の低い人たちと学生生活を送ることになる」と否定的な意見もありますが、学力の「鶏口牛後」の考え方で行くと、そんなに悪いもんでもないのでは?と私は思っています。
学力ではトップでも、それ以外の人間の部分なども含めその子が全てにおいてトップなわけではないでしょうし。
悩んでいる方は、どちらの考え方がしっくりきますか?
「男の子の「自己肯定感」を高める育て方:世界を生き抜く力は思春期に伸びる!」の本や、オレンジ先生の動画が私には考えるヒントになりました。
この2つはおすすめする選択が違うながらも「だから自信・自己肯定感をつけられる」という最終結論がほぼ同じなのは興味深いです。
だからこそ「その子による。」が万能答えになるのかな…。
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